海外初出品作品(9th Discover the one Japanese Art 2019 in AbuDhabi )
曼荼羅アーティスト&マクラメ作家の大迫弘美です。
私は、曼荼羅アートとマクラメアクセサリーの制作販売とレッスンをメインに活動しています。
そのほかにも、ペット(伴侶動物)の気持ちを通訳するアニマルコミュニケーションやカードリーディング、心と身体のエネルギーバランスを整えるレイキ(=手当療法)の施術・伝授なども行っています。
いろいろ活動していますが、これらには「想いを伝える」という共通するテーマがあります。
幼いころから自分の意見や想いを伝えることが、私は超絶下手でした(苦笑)
それは家族にも見放されるほど。
自分の意見や想いを伝えることが苦手だった私が、今では講座やセッションで「想いを伝える」ことを仕事にしています。
そこには、偶然の出会いがいくつもありました。
たくさんの失敗を経て、
言葉に頼らない想いの伝え方を学んで、今では全国各地、そして海外にも受講生がいる先生になれた道のりを書いてみようと思います。
どうぞお付き合いくださいませ。
目次
記憶のない子供時代

幼いころから、思っていることを言葉に変換するのが苦手でした。
すっごく時間がかかるのです。
当時、どんなことが起こっていたかを考えてみると、こうだったのではないかと思います。
思っていることを言葉にできずに口ごもる
⇩
はっきり言いなさいと叱られる
⇩
焦って強い口調になる
⇩
そんな口調で話すものではないとさらに叱られる
⇩
自分でもそう思うので自己嫌悪に陥る
⇩
ダメな自分・・・と自己否定
こんなふうに自己嫌悪と自己否定を繰り返していたので、子供時代の記憶は途切れ途切れです。
楽しかったはずの遠足も運動会も修学旅行も、ほとんど覚えていないのです。
そんなある日、夜中に目が覚めて両親の寝室の前を通ると、扉の奥から「弘美(私)はなんであんな子になったんだろう」という母の声が聞こえました。
※こういう嫌な記憶はなぜか鮮明に覚えているものですよね
母からしてみれば、いつもケンカ腰に言う娘に手を焼いていたのだと思います。
こんなふうに、私は言いたいことが言葉にできない不器用な子供だったのです。
ただ、このころにも楽しかったことがあって、
それは、「何かを作る」ことでした。
母の見よう見まねで編み物をしたり、当時はやっていたリリアン(知ってる人いるかな?)やビーズ細工など、このころから細かなものを作ることが好きでした。

天邪鬼(あまのじゃく)だった思春期
家族とですら意思疎通が上手くできず、とくに母とは衝突ばかりしていました。
だからこそ、母に認められたい気持ちは強くあったように思います。
テストでいい点を取って見返してやろうということです。
ところが、98/100点をとっても「2点足りない!」と言われて、100/100点をとったとしても「天狗になるな」と言われ。
母には私の見返してやろうという魂胆が見え見えだったのだと思います。
当の私は、すっかりひねくれてしまいました(苦笑)
ちょうど反抗期でもあったので、どうせ伝わらないならと思ったことの真逆を言うようになったのです。

そして私は高校受験を失敗してしまいます。
しかも目指していた学校があったのに貫くことをせず、全く別の高校を選び入学しました。
同じような出来事は、就職活動の時にも起きました。
行きたい会社にはあらゆる周囲から猛反対され、別の会社を受けることになります。
天邪鬼で生きていると、本心とは違う道に誘導されることがあるんだと後に知りました。
この時はまだ素直に生きることの大切さを分かっていませんでした。
別の人格を被ったような生き方を社会人になっても続けていたのです。
とうとう鬱状態に
実社会の自分と、本心の自分とがかけ離れていった20代。
腎盂腎炎と不正出血を繰り返して、心身ともに疲れ果てていました。
独り暮らしの家には寝に帰るだけの毎日に嫌気がさして、「ホントの私はどこにいるんだろう」と考え始めてもいました。
自分を変えたくて、心療内科に通ったのもこのころです。
実は会社勤めしていた11年間も、記憶は途切れ途切れにしかありません。
時系列を追って記憶しているのは30才を過ぎたあたりからです。
※30才で人生が切り替わったのだけれども、これが子供時代の手相に表れていたのかなと思います。
この時、ようやく自分らしく生きようと決めたのです。
光りが見えかけたものの…収入ゼロの10年間
30代になったころ、犬との暮らしが始まります。
ご近所の方に紹介されたドッグトレーナーさんはレイキの先生でもあり、アニマルコミュニケーターでもあったのです。
そしてこの偶然の出会いが、その後のいろいろな出会いを引き寄せることになります。
レイキとは、自分自身や身近な人(動物)を癒しながら、自己実現・自己成長を目指すヒーリングプログラムのことです。
素直に生きてこなかった私には、うってつけのツール。
曲がった心を真っすぐに整えてくれました。
2007年には、ドッグトレーナーさんのご縁でレイキを習得し、セラピストとして働くこともできました。
また、このころペット(伴侶動物)の気持ちを通訳するアニマルコミュニケーションを学び始めます。
とはいえ、最初から順風満帆だったわけではありません。
レイキセラピストとして働いていたころの収入は、研修費やその他もろもろの出費で消えていきました。
アニマルコミュニケーションの学びにも当然費用がかかります。
それでも、私でも何か役立つことがしたいと踏ん張っていた時代なのです。
ペットとの暮らしがアートにつながった! けれども…
風が吹けば桶屋が儲かる的な話(笑)
犬との暮らしから、レイキ ⇨ アニマルコミュニケーション ⇨ アートへと広がっていった話です。
ドッグトレーナーからレイキへと繋がったご縁は、アニマルコミュニケーションへと広がっていきました。
2011年には、アニマルメッセンジャーとして独立することができました。
しかし、ゼロからの出発でしたので当時の収入はゼロ。
さらに、2013年に別のレイキセミナーに参加すると、パステルアートの先生との出会いがありました。
パステルアートとは、パステルというクレヨンのような画材を粉にして描くアートのことです。
その先生の「パステルには絵心は要らないのよ~」という言葉をきっかけに、アートに挑戦することにしました。

パステルで絵を描き始めた2014年以降、ぽつぽつと講座の依頼はあるものの鳴かず飛ばず。
それならとパステルアートのモチーフを次々と学んだところで、収入にはつながることはありませんでした。
いただいた講座料を次の学びの費用に充てるという自転車操業。
それでも足りないときには、家計から借りていました。
私の活動にパートナーは寛容でしたが、「いったい何に使っているの?」と渋い顔をされたことがあります。
新たな学びを得るためには、家人の許可を取らなけらばならない状況でした。
やりたいことなのに、申し訳なさや何となくの罪悪感を感じながらの毎日。
自分のやりたいこともままならない自分自身に歯がゆさと惨めさを感じたのでした。
レイキとアニマルコミュニケーションで心身が癒され、アートという「やりがい」にも出会ったのに、仕事として生かすことはできなかったのです。
「もう辞めてしまおうかな・・・」
と思い始めた頃に出会ったのが、ペンで描く曼荼羅アートでした。
アートとの出会いから4年で個展開催、そして海外へ
初個展の風景(2017年)
様々あるパステルアートのモチーフの中で、私が好んで描いたのが「曼荼羅」のモチーフでした。
図形を並べて描くだけなのに不思議と心が落ち着くのです。
2016年、ペンで描いた曼荼羅アートに出会い、その作家に師事します。
黒画用紙に発色の良いペンで描く曼荼羅アートは、まるで闇から光が放たれたかのように美しく一気に魅了されました。
そして2017年2月、パステルとペンで描いた曼荼羅アートをもって初個展を開催することができました。

これ以降、あちらこちらのカフェギャラリーをお借りしての個展が続きます。
作品を介してなら自分について語ることも苦痛ではなくなり、それどころか、展示していた絵が次々と購入されたのです!
個展がない時には、完成した作品をインスタグラムに投稿して発表していました。
あるとき、初めて50㎝角の大きい作品を描いてアップした後、その作品を販売してほしいとのDMが届いたのにはびっくりしました。
また、海外での企画展に参加しないかと声がかかったのもこの頃のことです。
発見! 曼荼羅アートは自己実現のトレーニングである
曼荼羅アートを描いていると、自然と心が整います。
それは、幾何学模様を並べて描くという単純な作業が集中力を高めて脳内の雑音を静めるからです。
「今」という時間にいることができ、何をすべきかに気づくことができるのです。
心が整い、本来の自分を取り戻せることは、曼荼羅アートの大きな魅力になっています。
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絵を描くときには、頭の中で「こう描きたい」と思い描いている手本(見本)があります。
それを用紙やキャンバスに描いていくのですが、最初の内は上手く描けません。
曼荼羅アートもそうです。
単純な、点・線・丸なのに、思い通りには描けないのです。
また、描いているうちに思っているのと違ってしまった…ということも初心者さんにはよく起きることです。
この「思い描いた絵柄」と「実際に描いたもの」が近づくほどに、満足感や達成感は高くなります。
曼荼羅アートは点・線・丸という単純な図形で構成されているので、風景画や静物画よりも比較的容易に近づけていくことができるのです。
そしてそれは、思ったことを具現化するトレーニングにもなっています。
思ったように描けたという体験が成功体験となり、思ったことを実現できる自分を創っていくからです。
受講生さんの中にも
- 生まれ持った自分の才能を認めることができ、それを活かして起業した
- ショップを出したいという夢を叶えた
- 身近で起きた問題を解決に導くことができた
など、思い描いた世界を叶えた方がいます。
私自身も、
- 本格的なギャラリーでの個展開催
- 高額作品の販売実績
など、アーティストとしての道を着実に進んでいます。
また、憧れだった絵を描くことも曼荼羅アートだけでなく、龍やペット(伴侶動物)も描けるようになりました。
曼荼羅アートは、単純な図形を繰り返し描くアートです。
単純だからこそ、絵心がないと思っている私でも比較的容易に作品にすることができました。
それが成功体験となり、描くことや創作することへのハードルが下がって、自分の想いを表現することができるようになったのです。
自分が美しいと思うものを創ることが、今の私のライフワークになっています。
大迫弘美 略歴(受賞歴)
1969年福岡県生まれ
レイキセラピストとして5年間ヒーリングサロンで働く
2011年、アニマルコミュニケーターとして独立
2013年、アートに出会う
2018年からペンで描く曼荼羅アート講座を開講。全国(海外にも)受講生がいる
2020年から本格的にマクラメ制作を始める
現在、以下の講座等を随時開催中
- ペンで描く曼荼羅アート講座
- マクラメ講座
- アニマルコミュニケーションのセッション・講座
- レイキ講座(ウスイレイキ・セイキムレイキ)
- 作品は随時販売中
展示会等
2017. 2 初個展 カフェ&ギャラリーあんど
2017.10 テイストファイブ
2017.11 グリーンコード
2018. 2 カフェ&ギャラリーあんど
2018.10 秋の彩りアート展(グループ展)
2019. 4 ガイアレア(出雲)
2021. 8 ぎゃらりぃ花うさぎ
2022. 4 女神ヶ丘ガーデン(神奈川)
2023. 9 ぎゃらりぃ花うさぎ
2024. 9 artgalleryON ほか
受賞・出品歴
- 9th Discover the one Japanese Art 2019 in AbuDhabi 出品
- 第2回全日本芸術公募展 佳作
- 第25回記念アートムーズコンクール 入選
- 第13回プラチナアート大賞展 入選
- 新時代日仏至宝芸術大賞(2020.12出品)
- オレンジリボン世界平和芸術交流大賞
- 第52回クロアチア美術賞展 入選 ほか
まとめ
曼荼羅アートは、言葉の表現が苦手だった私が辿り着いた自己表現のツールです。
また、話すことが苦手なら、別の表現方法を選べばいいのだと学んできました。
それが、アニマルコミュニケーションでありカードリーディングであり、エネルギーによる対話がレイキヒーリングなのです。
アートも作家の想いを伝えるコミュニケーションツールです。
観た人が何かを感じ共鳴したりするものです。
生きることは自己表現の繰り返しであり、それを素直に表すことで自己実現が可能になるのです。
私自身の経験から、曼荼羅アートは、思い描いたことを具現化する最強ツールだと私は思っています。
「今すぐできる曼荼羅アート」無料の下絵を配布します。
現在、準備中です。


絵を描けるようになることが憧れのひとつだったんです