曼荼羅アーティストの大迫弘美です。
主にボールペンを使った曼荼羅アートを描いています。
原画「豊穣」
曼荼羅アートには、宇宙の真理を表す深い概念が含まれていると思っています。
そもそも曼荼羅は単なる美術品にとどまらず、宇宙の構造や法則、生命の循環などの広い範囲のテーマを視覚的に表現しています。
この記事で分かること 目次 「曼荼羅(マンダラ)」という言葉を聞くと、色彩の美しい図形を思い浮かべる方も多いでしょう。 曼荼羅とは、サンスクリット語の「マンダラ(maṇḍala)」を音写したもので、「円」「本質」という意味を持ちます。 曼荼羅とは、宇宙や真理の本質を象徴的に表した図像です。 曼荼羅は、仏教やヒンドゥー教において、宇宙の真理を視覚化するために用いられています。 曼荼羅は単なる装飾的なデザインではなく、図形の一つひとつには、宇宙の真理を含んだメッセージが込められています。 たとえば、中心に大日如来が位置し、そこから放射状に諸仏や菩薩が展開されている構図は、宇宙の中心からあらゆる命がつながっていることを示しています。 これは「万物は一つの源から生まれ、全体が調和している」という真理を表しているのです。 曼荼羅を見つめることで、私たちは「自分も宇宙の一部である」と気づかされます。 それにより内なる静けさや深い安心感へとつながっていくのです。 曼荼羅には、円や対称性、幾何学的な美しさが多く含まれています。 心理学でも、円形の図形は「自己の統合」や「無意識の象徴」とされています。 考え抜かれた配置と、図形と豊かな色彩がもたらす効果も加わって、曼荼羅を観ること自体が瞑想状態になりやすくなっているといえます。 修行僧でなくても、観ているだけで忙しい心を静め内側から整います。 現代のような情報にあふれた時代には、“心の静寂”を取り戻すためのツールとして曼荼羅が求められています。 また曼荼羅は、外の宇宙だけでなく、私たちの内面の宇宙も表現しています。 中心から規則的に広がる幾何学模様が、心の中心から外へ解放するよう導くのです。 曼荼羅を見つめることによって、私たちは自分自身の深層に触れ、内面的な成長や浄化を促進することができます。 心が整うことで、自己肯定感が高まり、その能力や才能で人々の役に立ちたいと思えるようになるのです。 日本における曼荼羅については空海なしでは語れません。 空海(弘法大師)は、804年に遣唐使として中国に渡り、唐の都・長安で恵果(えか、けいか)の下で密教を学びます。 わずか3か月で、真言密教の師である阿闍梨(あじゃり)として認められました。 中国に渡ってから2年後に帰国した空海は、密教の拠点として高野山総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)と東寺(とうじ)を開きました。 密教は、釈迦の教えを言葉で伝える一般的な教え(顕教)とは異なります。 文字どおり秘密の教えを意味し、教えの一部は公開されず修行者に直接伝授されます。 空海は、「言葉では伝えきれない真理」を曼荼羅という形で私たちに伝えようとしたのです。 密教で最も重要とされる曼荼羅が、「胎蔵(界)曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」です。 これは空海が中国から持ち帰ったとされる二大曼荼羅で、真言密教の教えを視覚的に表現し、それぞれ「理」と「智」を表すといわれています。 胎蔵界曼荼羅: 大日如来の慈悲や智恵を救済し、悟りの世界が得られるよう導いている様子を表しています。 金剛界曼荼羅: 煩悩に動じることなく、世の中あらゆる物事から真理の宝に慈しみをもち、大日如来の真理が成就するよう各々が実践することによってその真理を体得し成仏できる「智」の世界を表しています。 この2つの曼荼羅は、真理の表裏一体を表していることから、二幅そろってお祀りされています。 空海はこの両界曼荼羅をもとに、密教の世界観と人々の心の成長の道筋を説いたのです。 密教の教えには、「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」という考えがあります。 これは、死後ではなくこの身このままで仏になれるという、極めて前向きで人間肯定的な思想です。 曼荼羅はそのための「実践の地図」として機能します。 中央に描かれた大日如来=宇宙の本体 その周囲の仏や菩薩=自分の内面に備わる可能性の象徴 曼荼羅を観ること、祈ること、描くことが、宇宙と一体化し、自分の中に眠る仏性を目覚めさせる行為となるのです。 この教えは、現代の私たちが「ありのままでよい」と自分を受け入れ、内なる可能性に気づいていくための大きなヒントになります。 ありのままとは「素のまま」ということです。 「素」= 魂。 曼荼羅は、「素」の自分に気づかせてくれるツール。 曼荼羅を観、祈り、そして描くことで、やる気と可能性を見つけることができるのです。 曼荼羅は、宇宙の真理や密教の教えを可視化する図像です。 そして今では、それは内面と深く向き合い、自分自身を見つめるアートとして親しまれるようになっています。 描くという行為は、宇宙と対話すること。 曼荼羅アートはアートセラピーや瞑想の手法として注目されています。 線を引く、模様を重ねる、色を塗る――そのひとつひとつの行為が、心の内側と向き合う瞑想のプロセスになっています。 特別な信仰や知識がなくても、円の中心から外側に向かって描いていく曼荼羅アートは、自然と「今ここ」に意識を戻し、心を整えてくれます。 それにはいくつかの理由があります。 このようなことで、心理的に安心感や没入感を生み出し、曼荼羅アートを描くという行為に集中できます。 雑念が薄れ、思考は静まり、時間の感覚さえあいまいになる。 描く時間は、情報や刺激に囲まれた日常から離れ、描いている自分に集中する時間なのです。 曼荼羅を描くことは、「美しいものを作る」ことが目的ではありません。 むしろ、描くプロセスそのものが“内観”であり、“瞑想”なのです。 日々の忙しさに追われ、自分の心がどこかへ行ってしまったとき、曼荼羅を描くことで、「今ここ」の感覚を取り戻し、本来の自分に戻ることができます。 曼荼羅アートを実際に描いてみると、線の微妙なゆがみや模様の不均衡に気づかされます。 たとえば、心がざわついているとき、線はぶれやすく、左右対称に描くことも難しくなります。 –単純な作業なのになんでできないんだろう– それは、曼荼羅アートを描くと、その時の内面(心理状態)がそのまま描かれるからです。 焦りがあると形がいびつになったり細かい装飾に集中できなかったりします。 さらに、自分では意識していなかった感情や想いが、無意識に描き出されることもあります。 心(潜在意識)が今この瞬間に必要な模様を描かせているのかもしれません。 このように、曼荼羅を描くプロセスは、セラピーのように働きかけます。 心がモヤモヤしているとき、 そんなときこそ曼荼羅アートは大きな力を発揮します。 夢中で描いているうちに、いつの間にか心が落ち着き、頭の中が静まり、自分の中心と再びつながる感覚が戻ってくるのです。 曼荼羅アートを描くときは、バランスを意識し、幾何学の秩序に沿って模様を配置していきます。 そこには、私たちの中に本来備わっている「調和を求める意志」や「美への感受性」が働いているのです。 左右対称や放射状の形、繰り返しのリズムに心が安らぐのは、宇宙の根源的な秩序(自然の摂理)と、自分の感性が共鳴している証拠なのかもしれません。 曼荼羅アートの本質は、自分の内側にある“静けさ”や“叡智”を思い出すプロセスです。 呼吸を整えながら描いていくその過程で、私たちはフクザツな思考を手放し、感覚と直感に委ねることになります。 そして、「私の中に答えがある」こと気づくのです。 私たち一人ひとりの中に、宇宙と同じリズム、同じ構造、同じ可能性が眠っています。 曼荼羅を描くことは、その“内なる宇宙”に目を向け、対話し、光を当てていく行為です。 自分で描く曼荼羅アートは、「自分を知る」という自己探求なのです。
曼荼羅とは何か
曼荼羅の意味と起源
By Pavel Špindler, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54598310
その美しさもさることながら、曼荼羅には深い意味と歴史が隠されています。
円は無限を象徴し、宇宙の広がりやつながりを示しています。曼荼羅に込められた「宇宙観」
By Tibetan, Central Tibet, Tsang (Ngor Monastery), Sakya orderDetails on Google Art Project – qQErBDO0BtuQsQ at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76936937観るだけで心が整う理由
原画「統合」
こうした図形は、人間の脳に安定感や安心感を与えるといわれています。空海と曼荼羅
空海が伝えた密教の教え
仏の真理を祈祷や儀式、曼荼羅などを通じて体感する教えともいえます。「胎蔵(界)曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」
真言密教の根本経典の一つである「大日経(だいにちきょう)」を基に描かれています。
また、どんな世界であっても、各々が大日如来の徳を内に持っていることに気づき、向上心を持って悟りを求めることの「理」の世界を説いています。By Anonymous – Impressions, Number 33, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26589820
根本経典の「金剛頂経(こんごうちょうぎょう)」を基に描かれています。By Anonymous – Impressions, Number 33, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26589796
曼荼羅が導く“即身成仏”という世界観
※即身仏とは異なります。
素とは、内にある仏性(神性)に気づき、行動し続ける本来あるべき姿の自分自身のことです。曼荼羅を描くことは、自分という宇宙と向き合うこと
曼荼羅アートは、心の中にある小さな宇宙をも形にしているのです。描く瞑想としての曼荼羅アート
これは瞑想そのものです。形に現れる心の状態:曼荼羅は心の鏡
また、思考が過去や未来に行ったり来たりしていても整った図形は描きにくくなります。
鏡のように映し出されるのです。
逆に、静かな集中状態にあるときには、呼吸は深くなり、線はまっすぐに描け全体のバランスも美しく整います。
いつもと違う模様を描いていたり普段は使わない色を選んでいたりします。
自分の方向性に迷いがあるとき、
感情が整理できないとき。自分の中にも宇宙がある:曼荼羅が与える気づき
原画「統合」
原画「紡いでいく」 まとめ
これは空海が中国から持ち帰ったとされる二大曼荼羅で、真言密教の教えを視覚的に表現し、それぞれ「理」と「智」を表すといわれている
これは、死後ではなくこの身このままで仏になれるという、極めて前向きで人間肯定的な思想のこと